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Motoichi Kato
代表取締役 加藤元一

牡蛎との出会い

僕と牡蛎との関係は、昭和58年10月、北海道厚岸町で地撒き養殖の牡蛎と出会ったのが始まりでした。多分、生まれて初めて殻付き牡蛎を剥いて…。
生で食べたその時の感動は、今でも忘れられません。
また、道職員赴任当時、職場の先輩に修行だと命ぜられたのは、厚岸町の子野日(ねのひ)公園の「牡蛎まつり」会場。
そこで牡蛎を焼いたのが厚岸町での最初の仕事(もちろんプライベートの手伝いです)だったことも、良い思い出です。
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【プロフィール】
昭和58年3月   東海大学海洋学部増殖課程 卒
昭和58年10月  北海道釧路支庁釧路東部地区水産業改良普及所 勤務
平成3年4月    北海道檜山支庁檜山北部地区水産業改良普及所 勤務
平成6年4月    厚岸町役場 勤務
平成16年7月   ヤンマー株式会社マリンファーム 勤務
令和2年4月    Ostra株式会社 起業
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人工種苗生産技術開発のスタート
昭和58年から昭和末期の厚岸は、地撒き養殖漁場の天然礁で大量へい死が起こり、それを契機に従来型の地撒き養殖から延縄方式の垂下養殖への転換が加速します。
垂下養殖主体の養殖形態になる大きな転機を迎える状況でした。
​そのような状況で若い生産者から厚岸生まれの厚岸育ちの牡蛎を生産したいという要望が出され、当時、北海道職員であった僕は、運命のように牡蛎の人工種苗生産技術の開発に携わることになります。

シングルシードの取り組み

厚岸生まれ厚岸育ちの美味しい牡蛎を開発する取り組みの中で、平成7年にオーストラリアに視察調査に参加したのが、シングルシードとの出会いでした。厚岸の年数を掛けて大きい牡蛎を作ることが高品質であるという考え方に対して、一口サイズで殻の形状にこだわり、一粒一粒丁寧に牡蛎を作り上げる生産方法には大きな衝撃を受けました。この視察調査でカルチャーショックを受けてから、今日に至るまで僕のシングルシード方式の牡蛎づくりは終えることなく続いています。
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生食用殻付牡蛎の開発について

平成16年に北海道から民間企業への転職後も二枚貝種苗生産技術の開発に携わり、餌であるプランクトンの培養や幼生の飼育技術など開発してきました。しかしながら、生産された小さな種苗を美味しい成貝まで生産する技術は未開発で、効果的な海面育成方法の提案も難しく、殻の形状が綺麗で一口サイズのシングルシードタイプの殻付き牡蛎生産が徐々に要望される中、海面での飼育技術開発が急務な状況でした。そのようなタイミングで、生産停止状態のクルマエビ養殖場の活用について地元から参画要望を受け、大分県東部振興局の指導の下、平成25年から地元の生産者グループ“くにさき漁業合同会社”と大分県漁協国見、国東、武蔵、安岐の各支店、国東市役所、そしてヤンマーマリンファームが一体となって「くにさきOYSTER※」プロジェクトがスタートしました。平成27年からは、安全安心の殻付き生食用牡蛎として、本格出荷を開始し、全国の腕利き料理人に購入頂き、高い評価を受けました。
このプロジェクトに参画することで、生産された種苗を海面で育成する中間育成、干潟での育成、身入り育成など多くの技術が開発されました。

※現在はくにさきOYSTERの生産・販売は終了しております
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